個人的には少々残念な気持ちである。
僕は、日本の技術力は生き残り続けている中小企業にこそあると思っている。それが流出すれば、我が国のさらなる技術力低下は免れない。
だからこそ、東電のていたらくには、非常に腹立たしくコメントしていたわけだが。。。
先のタイの洪水で、同国の労働者が日本の工場に出向にやってきていたのをずいぶん前にTVでやっていた。
確か自動車関連部品工場だったと思う。そこで、日本人従業員がタイ人に技術を教わっている姿が今でも目に焼き付いている。製品の不備を「ここが悪い」と彼らは見事言い当てるのだが、当の日本人は彼らに言われるまで気づかない。
少し前なら、おそらく逆の様子がTVで見られただろう。自分はかつての日本のモノづくりの姿を知らないが、自分の職場経験からも現場の技術力が低下、あるいは継承されていないことを肌で感じている。
また僕の感覚からすると、実は今、大企業ほど技術力の低下が著しいかもしれないと思っている。経済が資金、モノ、すべてにおいてグローバル化したために、企業はより収益を確保する必要に迫られている。そうすると、自分たちが本当に得意分野として持っている技術以外は外から買ってきた方がより「効率的」である。そもそも現在の製品一つ作るのに必要な技術は相当数あり、すべてを自分で賄うことなどできやしない。
たとえば半導体事業で言うと、まず自前で半導体装置を作りはしないだろう。開発し、提供するのは装置メーカーである。もちろん装置の使用方法のノウハウや半導体機器自体の回路設計やデバイス技術などは各メーカーが持っているが、「装置自体」は多少カスタマイズすることはあるにしろ、「出来合い」のものを買ってくるのだ。
ついでに、今まで得意だった技術分野でさえ(特に最終収益に反映するという意味で)他国の企業に負けてしまったり、他への転用など有効活用を図ることができなかったために使われなくなり廃れていくということも少なくない。「技術力」を謳っていた会社が、いつの間にやらテクノロジーレスの会社になっているかもしれない。 ※何を持って技術というかという定義にもよるが。
しかし、「今や大企業に技術力がなくなった」というのはちょっと言い過ぎである。今でも小粒であっても光るものがあちこちに見られ、やはりこれが日本だと思う。だが今でもなお「日本の技術力は世界一である」と、今や自分がまともに成果(特に会社収益にかかわるもの)を上げていないにも関わらず声高に言う人物は要注意である。彼の言うことは、大きな仕事であるほど、信用してはいけない。
またTVネタであるが、ちょっと前、韓国の多分サムスンだったと思うがそこの技術者はこう言っていた。「日本がうらやましい」と。当時のサムスンはちょうど日本企業に並び追い越したかという段階であり、その技術力も素晴らしいと賞賛されていた。その高い技術力をもつはずの技術者がである。彼が言うには、特に部品でこれが欲しいとか改良したいというときに、対応できる企業(中小企業)が自国にないそうだ。製品に対する技術は自前であっても部品はすべて外国製だということがあるらしい。そうなるとそこの工夫ができないし、どうしても部品の修正をしたければ外国までいかなければならないらしい。少なくとも当時は。
今や「技術の日本」を下支えしていた、もしかしたらそれこそが「日本の技術の粋」であったかもしれない中小企業が、海外へ行ってしまう。あるいは既に多くが流出している。この「損失」は、技術で飯を食っているものとしては心情的にではあるが、残念である。
また大企業ならともかく、どちらかといえば地域密着型に近いイメージのある中小企業が海外へ行かざるを得ない状況も奇異に見えなくもない。これが現代の「当たり前」なのかもしれないが。
僕たちは飯を食わなければならないし、食うためには少なくとも今は原油を買わなければならない。今や農業、漁業でさえ石油なしで成り立たないからだ。そのためには海外に(有形無形にかかわらず)モノを売らなければならない。韓国が国を挙げて、「韓流」を売る理由はそこにある。今まで、「日本の高い技術力」こそがそれを支え、我々に石油をもたらしてきた。
今でも高い技術力は、小粒であってもあちこちで見受けられる。ただ残念なことに、それで食っていけるかどうかは別問題である。
なぜテレビは赤字にしかならないのか。もちろん海外と比べてコストの違いはあるだろうが、そもそも使われる技術がニーズにマッチしておらず、値段だけを押し上げたからという見方もできる気がする。あるいはかつてのウォークマンのように、新しくかつ人が欲しがる製品を作ることができていない、技術の独りよがりになってしまっているからかもしれない。
美輪明宏さんいわく、これからはハードではなくソフトの時代と言う。そうかもしれない。ハードがなくなることはないだろうが、ハードだけで食って行けた時代は終わったのかもしれない。またさらに言えば飯の種が「(工業)技術」でなくてはならない必然性はないだろう。
だがそうならそうで、何を持って我々は飯を食っていくのかを、まぁ各自になるだろうが真剣に考えていかなければならない。国全体で言えば、必ず海外に売るものがないといけないのだ。
ところで僕は、実はそれほど未来を暗く考えてはいない。そもそも我々は、創意工夫をすることを好む人が多い。高度成長期やバブルの記憶という、それが当たり前と錯覚している「精神的な後遺症」の人が多いために未だにだらだらとした風潮があるが、経済情勢が厳しくなればなるほどようやく「目が覚める」人もあるだろうと思っている。そもそも運や助けもあったにしろ高度成長期も成し得たのだ。本気でやれば、できることはできるだろうと思っている。
しかし、困るのはそれを超える以上に状況を悪化させる輩の存在である。緩やかな衰退であればこれからについて取り組む余裕があるのだが、急激な経済破壊ではもはや手の打ちようがない。ましてや今の「だらだら」した世間では、「目覚める」より先に暴徒化してパニックが発生してまともな生活が送れないかもしれない。
ただでさえそれに付き合わされているだけでも疲れるのに、さらに何のビジョンもないのに意味なく既存の経済を破壊ないし衰退させることは勘弁してもらいたい。