今日はちょっと思うことを書きます。(いつもですが。)
私は、仕事を大切なものと思っています。理由は簡単で、生きていくためにお金を稼ぐ必要があるからです。しかし、それは一時稼げばよいと言うものでなく、稼ぎ続けるだけの技術と仕事であることを目標にしています。仕事をして間接的でもお客さんに喜んで頂いて、喜んでお金を出してもらえるような。私の場合は、それを支える技術屋となりえる事を目標にしています。
多かれ少なかれ、仕事振りを見ればその人が分かるものです。少なくとも、仕事に対してどういう姿勢を持っているか、は最低分かります。
そして、最近思うんです。私もそうかもしれないけど、若い人の「力」が低下している。
それは、ちゃんと仕事をしていないと言うのではありません。むしろ、頑張る人は本当に頑張ってますよ。寝る暇も削ってね。でも、何と言うか、生きる力が不足してきている気がします。自力で生きると言うかね。うまくいえないんですけど。
私がなった「適応障害」だったり、あるいはその根本原因である「仕事」のことだったり、それは当事者にとって大きな問題でした。私も医者に通いながら、どうしようかと暗い気持ちになったもんです。
特にこれらはなったものしか分からない辛さがある。周りは一ヶ月もすれば治ったように思うかもしれないが、根が深ければ半年から一年もかかる。その辛さを回りは分かってくれない。。
でも冷静になると、今まで元気だった時も、周りはどれだけ私の仕事の辛さを分かってくれてただろうか。あるいは私は周りの事をどれだけ理解してただろう。また、仮に退職したとして、今の職場の人と交友があるだろうか。
そう、職場は、あくまで仕事の付き合いなんです。仲良しクラブで居るわけじゃない。経営者と相互に「契約」して働いているんです。だから本来、(必要以上に)経営者に媚びる必要もないし、職務以上のいわれを受ける必要はない。きちっと「大人」の付き合いをすべきです。
私の場合、職務を遂行するための道具の一つが「技術力」です。そのために、今でもそれは不十分でしょうけど、投資だけはしています。今までに買った専門書は50万円は超えていると思います。100万いっているかもしれない。もちろん本の知識だけで十分なわけありませんが、必要な本も読まずに十分なわけないのです。知識もなしにやる事をKKD(勘と経験と度胸)と言います。バブル以前の高度成長期のものです。多少失敗しても、利益の方が大きかった時代ならそれでもよかったでしょうが、失敗が業績に直結しうる今の時代、それだけでは大失敗を引き起こすかもしれません。
KKDも、勿論必要です。頭でっかちで、物事が成功するはずもありません。体験して得た経験と、勉強して得た知識とは車の両輪です。どちらが欠けても前に進めません。
※ 本田総一郎さんは、中学校(だったかな?)しか出ていないと、学歴を鼻にかける人の前でよく言っていたそうです。でも、あの方の知識は凄まじかった。本当に良く勉強していらっしゃったようだし、そして、本当に良く現場で働いていらっしゃった。誰も彼も、あの方と等しく、とは思いませんが、仕事をする以上、少なくともその道以外の人よりはプロフェッショナルであるべきではないのかと思っています。
技術力は、仕事の道具の一つです。仕事は更に、生きるための「仕事」です。生きるため、生活のための基本の一つであって、その為にどうしようかと考えるのも、また仕事です。
更に広げて、
仕事を含め自分がどういう風に生きるかを決めるのは、その人自身だし、それぞ、その人の人生です。仕事とどこで折り合いをつけるか、どこまでやるか。どこまでを納得して仕事をするか。また職場環境で問題があるなら、要望や要求をどこまで出すのか。
そのはずなのに、自分の人生(特に仕事がらみ)で問題発生、となったときに、何をしていいか分からないという人が多い気がします。自分の人生なのに、何をどうして良いかわからない。あるいは何をどこまでして良いものか分からない。私にはそんな風に見えるのです。
そんなはずないんです。時間をかけても、落ち着いて見れば分かるはずなんです。職場環境に関するものなら自分が置かれた状況がどうかを冷静に見つめて、「契約」に対し妥当なものかどうかを吟味すればよい。「個人」としての立場と、「会社」側の立場を並べて、こうあるべきだと主張できるはずです。例えば、他の社員などからの虐めなら、それで自分も不利益だし、結果、会社自体も不利益になるわけだからそういう事を止めさせるようにきちっと経営者に言うべきなのです。
また会社自体から不利益を受けているというなら、両者の立場を並べてどうあるべきか、まずは「相談」すればよいのです。それで両者がどうしても譲れないなら、別口で働くかどうかも視野にいればよろしい。
仕事が、技術的に分からない事だらけというなら、何を勉強するか先輩などの勉強しているものを覗いて見てもいいし、本屋に足を運べば今やどんな分野に対してもその専門書が一杯あります。いきなり一杯買わずとも、まずどういう専門書があるかを覗いて見てみれば良いのです。そうやって、「こういうものがあるんだ」と「勉強」しておけば、いざそれが必要と思ったときに、すぐに入手する手配をする事が出来ます。存在すら知らなければ、何も出来ません。
ただただ、毎日一生懸命にすればよいのではないんです。買い物に行って、作り手が一生懸命造ったという事を評価して購入するテレビの機種を決めますか?携帯機種を決めますか?料理人が一生懸命作ったという事で、味を気にせずその店に食べに行きますか?
仕事に限らず、何でもかんでも、只々一生懸命すれば解決するというものではありません。萩本欽一さん曰く、「一生懸命は誰でも出来る」んです。必要なものは何か、を探し、状況や問題に応じて対応策を考え、実行する。時に大きな決断をする必要もあるでしょう。
仕事は人並みでよい、自分のための時間が欲しい。それも、本当に上等な人生です。どういうスタンスで生きるか、それを決めるのがその人の人生です。どういう環境で暮らすか、生きるか、それが人生です。それを、その人自身が決めるんです。
相談にのった私がこう言ったから、こうします。ではないはずです。
ぶち当たる問題に対する答えは、皆さん違います。またその時の答えが、その人にとっても必ず良いとは限りません。でも、決めねばならぬときもある。それで少々間違ったって、気付けば軌道修正するよう努めればよいだけの事です。我々はレールの上を走っているのではない。少なくとも自分の足で歩いていて、自分の行き先は自分で決めるんです。
どこで何をして働き、休みの日はどう過ごし、何を食べ、例え誰と結婚するのも、自分(達)で決める事です。自分の責任で、自分の自由で決めるんです。
私だって、偉そうに言ったって、きっと大した人間ではない。でも、自分の意志で、何とか生きている。生きようとしています。
私たちは、もうとっくの昔に学校の先生の下を卒業し、自分の足で歩まねばならないんです。良い事も理不尽な事も一杯あるでしょう、世の中は。
でも我々の多くは、自分の責任と自由意志で、少しずつでも自分が納得できる人生の形にしていくことが出来るはずと思っています。
職場やその他もろもろで苦しんでいる方。
その殆どがあなた方のせいではありません。でも、それにきちっと対応できないと、いつまでも苦しい思いをされます。
職場虐めなどに苦しんでいる方、上司や埒があかんならその上司、駄目ならそれこそ社長クラスか組合、あるいは労働基準監督署に相談するくらいの対応をして欲しいと思います。殆ど犯罪なら警察でも構いません。
我々は大人の対応をすべきで、いつまでも小学生以下の子供同様の輩に付き合っている暇はないんです。それこそ人生の無駄ですから、きちっとやって頂きたいと思います。
天は自らを助く者を助けます。それはその時気付かずとも、後で振り返ってみればそうかもしれないと思うようなものです。
我々は出来る事しか出来ない。でも出来る事は、それが小さな事であろうとも、一杯あるはずです。無理にいきなり手に負えない何かをする必要はない。でも問題を解決すべく少しずつでも何かをやっていれば、必要なものは何か、やるべき事は何か、何が出来るのか、分かってくるはずです。
そうやって進む方向を自ら決め、自分なりに工夫していくって事が、生きているって事じゃないでしょうか。
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