本ブログのご紹介

 ようこそ、お越しくださいました。 私はあるとき床揺れを一週間ほど発症し(自律神経失調症)、その後頭痛やめまいに襲われ断続的に約一年ほど休職(休んだ期間は約半年;適応障害の診断)を経て2008年2月から復職し、現在(2012年1月)に至る者です。結構経ちましたね。  ここは、『本来は』そんな私の治療&体機能回復体験談やそこで学んだことや病気に対する(健康の)お役立ち情報を提供したり、何かの励みになったりすることを目的として掲載するブログで、した。しかしながら最近はメンタルヘルス関連はほぼ完治していると感じているので(日常に差し障りない程度に若干平衡感覚が怪しい時もあるが)、近日はそれ以外のことばかり書いています。 ※ メンタルヘルス関連の体験に記事についてもそのまま残してあるので、もし読みたい方は検索等使って確認ください。(※過去の記事について一言。
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(メンタルヘルス関連記事について)
 ここでは、心の持ちようなど精神的なことは、基本的に記述してないと思っています。。(あるじゃないかといわれそうですが、それは私一個人としての考えや感想です。)何故なら精神的に辛かった環境などは、確かに「根本原因」だろうけれども「直接原因」は「神経疾患」であるはずだからです。(『うつ』とは脳(神経)の病気である、というのは専門医の公式見解です。しかしながら世間一般では未だに「精神病」という名称のために、最悪本人の心の持ち様のせいにする人事担当や上司なども珍しくないのが現状ですが。)  発病された方の多くは、精神的に苦しい環境を耐えていたと思いますが、病状に表れたのはそれに神経がついていけなくなったからです。中には生活の不摂生が祟った人もいるかも知れません。(※詳細はこちら。
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 「正常に」生きていくためには、精神的ストレスの元となる環境を変えたり、場合によっては我々の気の持ち様が変わる事ももちろん大事なんだろうと思います。しかしそれよりまず先に、まず「神経」をはじめとする痛んだ体を先に治癒するべきです。マラソンランナーが足を疲労骨折したなら真っ先に病院へ駆け込むでしょう。先に走り方を再検討する人はいません。折れた足のまま通常のリハビリする人もいません。何でもかんでも『根性』で何とかなるものではありません。
 そして体が元気になってきたなら、それに合せて自分の生活環境を、仕事環境を、歩む道を、人生を生き方を少しずつ考えて行けばよいのではないかと思います。体が良くなってくると不思議と少しずつゆとりが出てくるもので、体と心は無縁じゃなかったことを実感できるのではないのでしょうか。
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<治療回復などの掲載記事について>
 自分が考える治療&体機能回復の優先順位は以下です。

  (1) 西洋医療(精密検査や、該当する外科治療、投薬治療など(神経内科なども)):とにかく病気として明らかになっているものや、急性疾患に対処する。
 →(2) 栄養療法(私の場合クエスト社の「栄養補強」、「体内解毒」、「腸クレンジング」):体に必要であったはずの栄養素(要するに体の元)を供給する。
 →(3) 東洋医療(私の場合、鍼灸、上部頚椎調整):自己治癒能力、自己回復能力を高める。
 →(4) 姿勢や運動(私の場合、エゴスキューだったり散歩だったり):代謝を含め、生命活動を活発化する。
(当然良い生活習慣が大前提)

 今更いうまでもないことですが、ひとつだけご留意頂きたいです。現代医学(西洋医学)の投薬治療は、未だにかなりの割合で症状を抑える働きをするものであって、根本治療をしているものではないことが多い、というのが私の実感です。風邪薬で症状が楽になったとしても、多くはその症状を抑えているだけで病に対する状況は何も変わっていません。なので、ちゃんと睡眠をとったり暖かくするなど適切な処置をしていないと悪化したり他の不調がでたりします。
 もちろん医療の発展で、(ある意味)根本治療と言って差し支えのないものも多く出てきていることは事実だと思います。しかし、副作用をはじめ、必ずしもそれが体全体にとって良いものかどうかは別です。薬剤の使用者たる我々は、薬の役割をきちんと理解し、またその効果のほどや副作用などの弊害を事前確認や自身の体でもって注意深く確認する必要があります。
※注記:ここで掲載した治療法や体機能改善方法について。
 適応障害やうつ、また自律神経失調症といった病気は、同じ病名でも人によって重さや症状が様々です。非常に個人差があります。よって私に有効だった方法でも、効果が出ない可能性もあれば人によっては有害である可能性もありると思います。ものを書いておいて身勝手ですが、読まれて色々試そうという方は、ご自身で勉強や調査をなさった上で自身で判断して実施してください。
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個人的には少々残念な気持ちである。
 僕は、日本の技術力は生き残り続けている中小企業にこそあると思っている。それが流出すれば、我が国のさらなる技術力低下は免れない。

だからこそ、東電のていたらくには、非常に腹立たしくコメントしていたわけだが。。。


 先のタイの洪水で、同国の労働者が日本の工場に出向にやってきていたのをずいぶん前にTVでやっていた。
 確か自動車関連部品工場だったと思う。そこで、日本人従業員がタイ人に技術を教わっている姿が今でも目に焼き付いている。製品の不備を「ここが悪い」と彼らは見事言い当てるのだが、当の日本人は彼らに言われるまで気づかない。
 少し前なら、おそらく逆の様子がTVで見られただろう。自分はかつての日本のモノづくりの姿を知らないが、自分の職場経験からも現場の技術力が低下、あるいは継承されていないことを肌で感じている。


 また僕の感覚からすると、実は今、大企業ほど技術力の低下が著しいかもしれないと思っている。経済が資金、モノ、すべてにおいてグローバル化したために、企業はより収益を確保する必要に迫られている。そうすると、自分たちが本当に得意分野として持っている技術以外は外から買ってきた方がより「効率的」である。そもそも現在の製品一つ作るのに必要な技術は相当数あり、すべてを自分で賄うことなどできやしない。
 たとえば半導体事業で言うと、まず自前で半導体装置を作りはしないだろう。開発し、提供するのは装置メーカーである。もちろん装置の使用方法のノウハウや半導体機器自体の回路設計やデバイス技術などは各メーカーが持っているが、「装置自体」は多少カスタマイズすることはあるにしろ、「出来合い」のものを買ってくるのだ。

 ついでに、今まで得意だった技術分野でさえ(特に最終収益に反映するという意味で)他国の企業に負けてしまったり、他への転用など有効活用を図ることができなかったために使われなくなり廃れていくということも少なくない。「技術力」を謳っていた会社が、いつの間にやらテクノロジーレスの会社になっているかもしれない。 ※何を持って技術というかという定義にもよるが。

 しかし、「今や大企業に技術力がなくなった」というのはちょっと言い過ぎである。今でも小粒であっても光るものがあちこちに見られ、やはりこれが日本だと思う。だが今でもなお「日本の技術力は世界一である」と、今や自分がまともに成果(特に会社収益にかかわるもの)を上げていないにも関わらず声高に言う人物は要注意である。彼の言うことは、大きな仕事であるほど、信用してはいけない。


 またTVネタであるが、ちょっと前、韓国の多分サムスンだったと思うがそこの技術者はこう言っていた。「日本がうらやましい」と。当時のサムスンはちょうど日本企業に並び追い越したかという段階であり、その技術力も素晴らしいと賞賛されていた。その高い技術力をもつはずの技術者がである。彼が言うには、特に部品でこれが欲しいとか改良したいというときに、対応できる企業(中小企業)が自国にないそうだ。製品に対する技術は自前であっても部品はすべて外国製だということがあるらしい。そうなるとそこの工夫ができないし、どうしても部品の修正をしたければ外国までいかなければならないらしい。少なくとも当時は。



 今や「技術の日本」を下支えしていた、もしかしたらそれこそが「日本の技術の粋」であったかもしれない中小企業が、海外へ行ってしまう。あるいは既に多くが流出している。この「損失」は、技術で飯を食っているものとしては心情的にではあるが、残念である。
 また大企業ならともかく、どちらかといえば地域密着型に近いイメージのある中小企業が海外へ行かざるを得ない状況も奇異に見えなくもない。これが現代の「当たり前」なのかもしれないが。



 僕たちは飯を食わなければならないし、食うためには少なくとも今は原油を買わなければならない。今や農業、漁業でさえ石油なしで成り立たないからだ。そのためには海外に(有形無形にかかわらず)モノを売らなければならない。韓国が国を挙げて、「韓流」を売る理由はそこにある。今まで、「日本の高い技術力」こそがそれを支え、我々に石油をもたらしてきた。
 今でも高い技術力は、小粒であってもあちこちで見受けられる。ただ残念なことに、それで食っていけるかどうかは別問題である。
 なぜテレビは赤字にしかならないのか。もちろん海外と比べてコストの違いはあるだろうが、そもそも使われる技術がニーズにマッチしておらず、値段だけを押し上げたからという見方もできる気がする。あるいはかつてのウォークマンのように、新しくかつ人が欲しがる製品を作ることができていない、技術の独りよがりになってしまっているからかもしれない。


 美輪明宏さんいわく、これからはハードではなくソフトの時代と言う。そうかもしれない。ハードがなくなることはないだろうが、ハードだけで食って行けた時代は終わったのかもしれない。またさらに言えば飯の種が「(工業)技術」でなくてはならない必然性はないだろう。

 だがそうならそうで、何を持って我々は飯を食っていくのかを、まぁ各自になるだろうが真剣に考えていかなければならない。国全体で言えば、必ず海外に売るものがないといけないのだ。


 ところで僕は、実はそれほど未来を暗く考えてはいない。そもそも我々は、創意工夫をすることを好む人が多い。高度成長期やバブルの記憶という、それが当たり前と錯覚している「精神的な後遺症」の人が多いために未だにだらだらとした風潮があるが、経済情勢が厳しくなればなるほどようやく「目が覚める」人もあるだろうと思っている。そもそも運や助けもあったにしろ高度成長期も成し得たのだ。本気でやれば、できることはできるだろうと思っている。


 しかし、困るのはそれを超える以上に状況を悪化させる輩の存在である。緩やかな衰退であればこれからについて取り組む余裕があるのだが、急激な経済破壊ではもはや手の打ちようがない。ましてや今の「だらだら」した世間では、「目覚める」より先に暴徒化してパニックが発生してまともな生活が送れないかもしれない。
 ただでさえそれに付き合わされているだけでも疲れるのに、さらに何のビジョンもないのに意味なく既存の経済を破壊ないし衰退させることは勘弁してもらいたい。
2012.02.09 Thu l 徒然草 l COM(0) TB(0) l top ▲
自分も東電値上げに対する意見をここに乗せたが、日経ビジネスで「モチベーション不在の東電値上げ」という記事がある。↓↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120131/226679/
 中身の正確性はわからない。根掘り葉掘り内容を検証する意味も個人的にないためそんなことはやってないからだが、内容としては完全否定はできないことは確実だと思う。そこに寄せられているコメントの多くは、少々感情的になってしまっているところは感じられるが、記事に賛同するものが多数である。しかし一つだけ、真っ向から対立するコメントがあった。いろんな意見があるのが当たり前だからそれはそれでよいかと思ったのだが、そのコメントが恐るべきものであった。
↓↓
「2012年2月3日
 とんでもない御用記事(霞が関・民主党のどちらの御用かは判りませんが)ですね。原発事故を起こした後でも、東京電力の電気事業法上の供給責務は残っています。つまり、今回申請された値上げは、供給責務を果たすため(具体的には燃料代を払い続けるため)に必要な原資を賄うための値上げです。 電気事業法により、JALのように不採算路線の廃止(不採算エリアの切り捨て)を行う事は違法となっています。筆者は一体東電の何を切り捨てろと仰っているのでしょうか?」
http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/report/20120131/226679/

 皆さんはどう感じるだろうか?僕ははっきり言って膝を打つどころか、許されるなら後ろからスリッパでしばきたいくらいである。
 (論点がずれているのを承知で言えば、同じことを声高に被災地に行って言っていただきたいのだが。「皆さんの電気代を上げます。」と。(あるいは被災地は現状通りなのか?))


・ 電気事業法ふんぬんかんぬん → 必要に応じて改正すればよいではないか。
 国民や生活のための電気だが、その生活を支える企業活動のための電気でもあるだろう。値上げのせいで本当に大量の企業が倒産するか、海外へ行ってしまうかもしれない危険性が高いのだ。一時ならまだしも「今後も火力発電でまかなう必要があって値上げは今後変わりません」とならないんだろうか?そのせいで企業が衰退して石油が買えなくなると、国民生活が維持できなくなることを認識しているのだろうか?そもそも「守るための法」ではない、「国民のために法を守る必要がある」のだ。目的に沿わないなら、改正すべきというだけのことだろう。この方の論点は本末転倒(目的と手段とが完全に逆転)である。
 そもそも自分は「法」を前面に出して正当性を言うくせに、法にもっともかかわる霞ヶ関の「御用記事」であると批判する意味が分からない。自分が読む限り御用記事であるという気はしないが、仮に御用記事であっても「それで何が悪い」のか。法に霞ヶ関が絡んでくるのは、至極当たり前でないか。

・ 供給責務を果たすため → 言っていることはわかる。しかし独占の電力会社にこんなことをいえる権利はない。
 こういえるのは国営公営だけである。そういいたいのであれば、公的資金注入を拒否して即刻倒産していただきたい。あるいは国営になっていただきたい。「法」を傘に建てた意見にしか聞こえない。


 本当を言うと難しい問題であって、こんなに一刀両断できるものではない。本当に倒産した時の日本経済の打撃はすさまじいだろう。

 だがこのままでは本当に日本経済は沈んでしまう。電気がまともに来るかどうかもわからなくなるかもしれない、または世界的にも高い電気代がさらに高くなるという国内に、わざわざ企業がいるわけないではないか。

 昔から特に大企業は悪者のように言われている。もちろんそのすべてが間違っているわけではない。しかし高度成長期以降、日本人の生活を支えていたのは、またそのために外国から石油を買うお金を稼いでいたのは大企業をはじめとする企業なのだ。仮にその企業の窮状を無視して「生活が大事」なんて言い出したら、その「生活」を支える国全体の収入をなくしてしまうということを、わかっているのだろうか?
 原油が今の半分になったとして、我々は生きていけるのだろうか?
 強引に言えば、原油の量が半分になれば国内におけるその価値は倍以上に膨れ上がる。量が半分で価値が倍だから、実際の価値は4倍以上に相当することになる。そうすると最終的に物価は10倍に跳ね上がるかもしれない。企業の収入が減って民間の収入が減り、税収が減って公務員をはじめとする官も身動きが取れなくなるかもしれない。その上物価は10倍になったら、もはやまともに生きていけなくなる可能性があるのだ。


 個人的には、正直腹立たしいコメントなのだが、これをそのまま掲載する日経はある意味すごいのかもしれない。自分だったら、もちろん個人のブログだからではあるが、およそ載せたいと思うコメントではない。
 未来に向かって得るものがなく、現状をどうにかしようという意思も感じられない。
2012.02.04 Sat l 徒然草 l COM(0) TB(0) l top ▲
申し訳ないが、自分は公務員に対する偏見を持っており、時折嫌いで仕方がないときがある

 こう書くと多大な語弊があって、公務員だからこそ利益でなく世のため人のために尽くしたいと働く人たちの姿勢は、本当に大好きである。
利益追求でなく、世のため人のためとがんばっている人など、その仕事や生きざまには本当に共感する。


自分が嫌いなのはそういう方たちのことではなく、また状況次第でもあるが。
公務員と言えば、
[1] あまりにも理想的(机上計算的)過ぎて現実を見ていないか、実現性を考えられる感性がない、あるいは実現可能かを「現実的に」検証しない、
[2] 世の中を知らなさすぎる(社会あるいは世界の本当の姿を知らない)、
[3] 他人の立場に立って、物事を考えたり配慮することが出来ない(常に自分が”お上”と思っている?)
[4] 利益度外視の“度が過ぎる”、
といった方々がよく見受けられる。

最近だと、政治屋のそういう“体たらく”を目にすることが多くなったか。

 [2],[3]だと、もう結構時間がたったが某元防衛相の宮城県知事に対するビジネスマナー(というよりもはや人としてのマナー)の欠如とか、比較的最近だと各閣僚の担当職務に対してさえ理解できていない(自身の担当分の勉強さえしていない?)というところだろうか。
 [1],[2]が、あまり実現性を考えずに打ち出した民主党の公約といったところか。
※ もっとも増税に対して言えば、こうあるべきだとまともに仕事をすると、「とにかく自分の不利益は嫌だ」と反対しかしない他の政治的圧力のお蔭で、国債も年金も少なくとも自分が社会に出た20年前から赤字脱却を果たせたことがない。増税すれば解決するものでもないが、上記赤字を「自分は関係ない」という態度でとにかく損するものには反対という立ち場の人がいることも問題だろう。

 そして[1]〜[4]全部に当てはまりそうなのが、郵政だったり電力会社だったりというところだろうか。
※ 法的にはこれらは会社であるが、実力や体制は「公社」の域を出ていないと判断する。


 なぜこうなのか。
 彼らは育ちがお坊ちゃんお嬢ちゃんだからかなんて思っていたが、つい先日思わぬところで合点がいってしまった。

 実家の住宅団地の公民館では朝ゲートボールをやっている方々がいらっしゃる(まだ全員60くらいだそうだが)。参加しているのは、なんと全員が公務員の方だそうである。同じ団地の住民なので、全員が同じ職場で働いているということはなさそうである。
それを見たうちの実家の某氏は曰く、「まるで部活動だ。」

この一言が全てを物語っているようである。
 すなわち、全員とは言わないが、公務員とは学校を一度も「卒業したことのない」方々の集まりではないのか。もちろんこれは比喩であり、独断と偏見である。


 学校と言えば。
自分が経験してきた小中、高校、そして大学生活は、自分の感覚でいえばとにかく守られてきた環境だった。
※ 逆にある意味、特に中学までは個人裁量が無さすぎて、自分は本当に退屈だった。面白くなったのは高校からである。

 世の中に出る最後の学校となる「大学」なってもそれは変わりなく。
目的を持って大学へ入ってきた人や、入学当初から将来のビジョンや大学でやりたいことが明確な人ならまだしも、それこそ“受験自身”が半ば入学の目的になってしまっていた自分などは、後x年たったら世の中に出ないといけないという事は分かってはいても、その実感や緊迫感は大学の4年になって就職活動を始めるまで無いままだった。
 ただし大学に遊びに来た気はなかったので、学んだことを将来働くための自分の「武器」として活用するために、受けるべき講義や受けたい講義は極力きちんと出席だけはしていた。(ただし、出席率90%というところ。。)

 自分の場合、後の就職活動という場で、ある意味痛い目に合うわけだが(いわば実社会の洗礼を初めて受けるわけだ)。


 さて、話を戻して公務員になるにはどうすればよい?
基本は、大学に続いてまたしても対象の公務員試験という「受験」に受かればよいのである。受かったら、公務員になれる。もちろん、試験に受かればそれで職に就けるというのは相当強引な言い方であり、(「教職」免許を持っていたって、教師の職がなかったりするだろうし、)きっと「そんなもんじゃねぇよ」と言われると思う。
民間だって入社試験に受かればよいではないかと言われそうだ。
 確かにそうだが、では民間の入社試験と公務員試験と同じだろうか?
本来は両方を経験しないと推定さえできないのだが、僕は全く違うと考えている。

 大学時代までと比べると民間というのは、きれい事ももちろんあるが基本的には本音の世界であり、ハングリーであり、泥臭く、仕事の成果や納期や成績に対して多少の猶予はあっても基本はいつも待ったなしである。
 そう言った世界に生きる(というこちらが本来普通の)人たちの中から人事担当となった方が、自分たち(の会社)が生きていく上でこの学生を入れることは有益か、金をこいつに払って見合うだけのものがあるかを吟味するわけだ。

 それに比べて公務員試験はずいぶん緩くはないだろうか?
何度も言うが職種次第だが、勝手な想像でいえば殆ど受験に近いものも多々あるのではなかろうか。
 仮にそうだとすると、入った後はどうなのだろうか?
・対象庁舎や機関は、先に書いた民間ほどいつも待ったなしの状況になっているだろうか?
・赤字であって、民間ならとうに「倒産」している機関があちこちに存続してないか?
・県庁や市庁等で働く方々が、地方税の収入が赤字であったとして、県や市の「倒産」を、どこまで真剣に考えているだろうか?
・そもそも彼らの多くが、そんな意識を持って業務をしているのだろうか?
 つまり公務員の何割か(自分の感触だとかなりの割合)は、今も守られた学校と同じ環境にいるのである。
もちろん業務上世間と接触することは多々あるだろうが、少なくとも地位や経済環境としては「未だに世に出たことがない」のだ。そして「周り」には、自分と同じ同僚がいるという安心感も彼ら支えている。
 そしてきっと、そんな生活を一生涯彼らは続けているのだ。


 今、上述のゲートボールをしている方たちは高度成長期の世代であるから、今現在と状況は変わっているだろう。だが、その状況が根本的に変わったとは思い難い。
 もし変わっているのであれば、もう数十年にわたり発行され続けている赤字国債が、震災の有無に関わらず毎年額を増やしながら発行され続けているわけがないのだ。企業だったら一年で倒産である。
毎年、収入と同額の社債を発行する会社に対し、よほど将来を見込めると判断されない限り、返ってこないかもしれない金を銀行が貸すはずがないだろう。


というわけで。
 自分の中では、「公務員」≒「大多数が“学校生活”で一生を終える人たち」、と捉えている。そう考えると、冒頭の[1]〜[4]がきれいに説明がついてしまう気がするのだ。
そして、そういった片鱗を彼らから見せつけられると、ある意味腹が立ってしょうがない。

 東電の値上げは、彼らのこれまでの不摂生(それこそ親に成績の良さを見せるような子供じみた所業の成れの果て)のせいによるところが大きいと思っているが、そんなことを言っても始まらず今現在の値上げも仕方なしという気持ちでいる(但し、以降はこんな「体たらく」にならないようにきちんと仕事をして頂きたいと思いながら。)。
にもかかわらず、「値上げは権利」などと平気で言ってしまうその姿勢が気に入らないことこの上ない。
※ 「踊る大捜査線」には、そういう風潮への批判の要素も当然含まれているからヒットしたのは、中高生でも知っているではないか。


ところで何度も書くが、公務員だってそういうことだけじゃないことは、承知しているつもりである。
 学校で生徒に向き合うことに情熱をかけている先生、市民を守るためになった警察や消防の方、過疎の山奥でも下手したら命がけで配達業務を行う郵便の方などお見かけして、「仕事」をしている姿を頼もしいと感じている。
 破天荒であれば良いというわけではないが、「青島」の姿に多くの方が共感したのではないだろうか。

 日本の公務員は、「この姿勢こそがニッポンの公務員である」と皆に見せつけられるような、こちらが尊敬する方たちがいっぱいいるような、そんな集団になって欲しいと思う。
2012.01.27 Fri l 徒然草 l COM(0) TB(0) l top ▲